【てんすけまる日記】その言葉、親切心ですか?
🦊てんすけまる日記とは
ここでは日々の生活で感じたこと・学んだことを忘れないために書き記しておく場にしたいと思います。
見たり言われたりしてモヤッとしたことや真似した方が良い他人の振りなどを自分なりに消化して我が振りを直す日記です。
多分ほぼ愚痴になります…^^;
日常的に誰とも話さないのでせめてここで話をさせて笑
ちなみに自分は瞬間湯沸かし器で沸点が低く、保温性も兼ね備えている魔法瓶なので怒りが冷めにくく忘れにくいです。^^
その言葉、親切心ですか?
作品を作っていると「ここをこうするともっといい」とか「これのここが変です。」など至極ご丁寧に指摘して下さる方がいるのです。しかも結構、いる。
こういうことを言う方たちって、決まって悪気はないんです。むしろ善意と思いながら言っているようなのです。
でも、悪気がないからなんなんですか?言われたこっちは不快だっつんだよ。
この日記を書くきっかけになった事案としては、
自分が楽しくのびのびつくったお気に入りのお面に対して「あなたのために敢えて言いますがココがコウで気になります。」というコメントが来たことです。
こういっては悪いですが、このコメントを送ってきた方に対して自分は特に興味がなかったんです。つまり尊敬すべきところがわからない相手からの求めてもいないアドバイス。
そのアドバイス、誰が欲しいんですか?
そもそもアドバイスというのは、相手から求められて初めて成立するものなのでは?
求められてもいない自称アドバイスをする人は大抵「あなたの為に」という枕詞を隠しています。
しかしその実、「気になったことを言わずにはいられず自分がスッキリしたいだけ」です。
「これはあなたの為を思った善意です。」を免罪符として発したその言葉はあなたの自慰行為にすぎないのではないでしょうか?
自分の善意を善意として受け取ってもらえないかもしれない覚悟を持つ。
自分の善意が相手にとっても善意とは限りません。
例えば、一人でいるのが好きなA子を、大人数で遊ぶのが好きなB子が「もっとみんなの輪に入って遊ぼうよ!」と誘ったとします。
誘ったB子は「あの子はいつも一人で遊んで可哀想だから」と100%善意からの発言なのでしょうが、A子は大人数で遊ぶのが好きではなくその誘いは嬉しくないものかもしれないのです。
つまり、B子の善意はA子にとっては悪意になりかねません。
そこでA子が「大人数は苦手だから遊ばない」と断ったら、B子は「せっかく誘ってあげたのに!」と自分の善意が踏みにじられたことに傷つくでしょう。憤慨するかもしれません。
そんな時に「自分の善意を受け取ってもらえないかもしれない」ことを念頭に置いておくと、自分の善意を断られたときに「そっか、私にとっていいことはこの子にとってもいいこととは限らないもんね」くらいで済むはずです。
他人の振り見て我が振り直す
話は戻りますが、本当に相手のことを思っているのであれば、肯定と称賛を口にしたことでしょう。
SNS上であれば尚更。
自己発信のSNSでは肯定と称賛以外いらないとも思います。とんでもない悪行以外は。
相手の顔も見えず素性も知らない赤の他人からの発言は、本当の善意であっても相手の受け取り方によっては悪意になりかねないものです。
そこで頭にきた私が気持ちのままトゲトゲ返しをしたら、相手はきっと逆上してもっと面倒なことになるでしょうね。「せっかく教えてやったのに!」って。
大声で消えろ!って叫びたくなりますが、そこをぐっと堪えて、相手に聞こえないであろうところで淡々と分析して気持ちを落ち着かせるようにしています。
あー、怒りが落ち着いてきました。
何歳になっても言わんでいいことの区別がつかない人もいるし、自分もそうである可能性は大きい。
だからできるだけ肯定と称賛を意識して言葉にしていきたいです。
今回の学び
求められてもいないアドバイスはしない!
自分の善意が相手にとっても善意とは限らない!
肯定と称賛はどんどん口にしていく!